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“ご飯のお供” と日本人
ご飯のお供についてのコラムです。ウンチクを書いてみました。(^^)
ご飯のお供の由来
古より日本人と米飯は切り離せない関係にある。それに伴い、米飯をより多く摂るための副菜物―いわゆる“おとも”―の歴史も古い。稲作が伝来したのは約6,000年前の縄文時代と言われている。その後、縄文末期から弥生時代にかけて急速に広まった。なぜか。主に気候に関連して、いくつか理由がある。まずは田植えの時期に雨が多いこと。そして稲が生育する夏は日射量が多く、気温が上がるから。また稲が実る時期の空気が朝夕すずしく、乾燥しているから。さらに国土の狭い日本にとって、同じ田んぼで毎年続けて作ることができるという点も非常に魅力的な穀物であった。
それでは食事の形態はどうだったかというと、これも弥生時代には既に米飯&副食(おかず)というパターンが確立していたといわれている。飛鳥・奈良時代には、庶民は米飯を主食とし、漬物、汁物とおかずがそれぞれ1品ずつという「一汁一菜」が定番となり、平安時代になると、貴族の食事は、ごはんを中心に、いろいろなおかずが少しずつ並べられるようになる。いまで言う懐石料理や精進料理的な趣だろう。おかずの数が多いほどごちそうとされたことから「かずもの」と呼ばれた。それに後に「お」がつき、「おかず」となったという。
これはすでに立派な “ご飯のお供” である。言ってしまえば、稲作が始まり、ごはんを食すようになったのと同時におともも生まれ、それが基本となり、現在の様々な副食物に進化してきたのだ。ごはんの始まりと共に、おともも始まっているわけだ。ゆえに、日本人とは切り離せないという冒頭の表現も、決して過言ではないのである。
日本人にとって、“ご飯 & お供” という食事形態は最も身近であり、また最も焦がれるものであった。日本の歴史は、言ってみればこの“ご飯 & お供” を獲得するための戦い(米の実る土地―年貢―や良港などの奪い合い)なのである。織田信長は焼き味噌でごはんを食べたし、家康は天麩羅で、西郷隆盛はウナギの蒲焼をおともにごはんをたらふく食べた。
ごはんを食べなくなった日本人
高度経済成長期の1962年、日本人1人当たり米の消費量は118.3キロだった(1日に約5.4杯)。その後は、年々減少し、2016年度には半減以下の54.4キロとなった(1日に約2.5杯)。各地の農業試験場では品種改良を重ね、食味や食感にこだわった新ブランドの米が続々デビューしているが、消費者の米離れには歯止めがかかっていない。米を食べなくなった一方で、油脂類や肉類、牛乳・乳製品の消費は増えている。米と同じように1962年度と2016年度を比べると、油脂類が5.3キロから14.2キロと2.7倍、肉類は7.6キロから31.6キロと4.2倍、牛乳・乳製品が28.4キロから91.3キロと3.2倍となっている。米離れの原因はこうした食生活の西欧化に加えて、高齢化で食が細くなる人が増えていることや、人口減などさまざまな要因が組み合わさっている。近年では、「太らないためには、炭水化物は取らない方が良い」といった糖質オフダイエットブームも起こっているから、“ご飯 & お供” にとっては由々しき世の中になったものだ。
農水省が2014年度にまとめた統計によると、夕食にごはん類以外を選ぶ理由として「いろいろな種類の主食を食べたいから」が約半数を占めた。一方、時間に追われる朝は、特に「短時間で食べられる」「準備や片付けに時間がかからない」などの理由でごはん以外の主食を選ぶ傾向にある。
2011年には一般家庭の食料品への支出額で、初めてパンが米を上回った。2012年はわずかに米が再逆転したものの、2013年以降、パンへの支出が上回る状態が続いている。
“ご飯 & お供” を含めた和食は2013年にユネスコの無形文化遺産に登録された。これは画期的なことだ。願わくばこのタイミングで国民一丸となり、“ご飯のお供” への回帰運動が起こってもおかしくはないほどの出来事だったが、残念ながらそうはなっていない。和食は海外では「健康的な食事」として年々人気が高まっているが、当の日本人が和食の価値を一番分かっていないのかもしれない。
昨今の日本家庭の食卓
昨今の日本の家庭では、何事も家族それぞれの好みや都合を尊重するため、食事も家族がバラバラな時間に違うものを食べる世帯が増えている。朝食ではほとんどの家庭がそうであるし、平日の夕食も子供が高校生以上になると、バラバラになりがちだ。そうすると、必然的に米を食べる食事は減る。ひとり一人の食事のたびに ご飯やみそ汁、おかずを温め直すのは大変だし、遅く帰宅したり、時間を外して食べる家族一人分の「孤食・個食」に、一汁三菜のごはん食は不都合だからである。パン類や、レトルトソースで作るパスタ、インスタントのラーメンやうどんなどの麺類、チンしてできる冷凍の米飯類やピザなどならば、白いごはんと違い、おともナシでもそれ一品で簡単に食事ができる。すべては便利という美名のもとに昔から脈々と受け継がれてきた何物かが否応なく淘汰されていく。なにも“ご飯 & お供” の話に関わらず、そういったものはいろいろある。しかしここで自分の胸に手を当てて考えてみよう。そうすると胸の奥底からこのような声が聞こえてきはしないか。「私たちは、決して“ご飯 & お供” が嫌いになったわけではないのだ!」と。ごはんと最高の“ご飯のお供” というコンビに優るものはないはずだ!と。
炊き立てのごはんに湯気の立つ味噌汁、そして焼き魚の匂いに鼻孔をくすぐられ、その横にはあなたと最も相性の良い“ご飯のお供” がぽつねんと、しかし断固として立っている。
しかし時間がそれを許さない。手間がそれを許さない。忙しさがそれを許さないだけなのだ。
コロナ禍での生活は二年目に突入した。生活がガラリと変わった。大抵は悪いことばかりだ。
しかし唯一と言ってもいい良いことがある。家族団らんの時間が増えたことだ。いや、それは良いことではなくむしろ悪いことだ、という悲しいご意見もあるかもしれない。でもここでは、というか僕は、団らんはやはり良いことだと思う。思いたい。だって家族なのだから。
とにかく、家族の時間が増えたのは確かだろう。そこで“ご飯 & お供” の復権がなされつつあるというのだ。そう、そもそも嫌いだったわけではないのだ。強制的とはいえ、時間に少し余裕ができ、家族が同じ時間に食卓に集まれば、ごはん&おともという選択肢は誰からともなく自然発生的に出される。まるでDNAに組み込まれているかのように。しかも、より身体に良いものを摂ろうという前向きな意識と共に。
幸喜屋一押し ”ご飯のお供”
全盛期にはまだまだ足りないが、ごはん&おともコンビはまた日本人の食生活の中心になろうとしている。第一のおともの地位を得ようと各メーカー、飲食店が自慢のアイデアを出し合い、競争も激化している。幸喜屋のメニューはどれも旨い(もちろん純粋な個人の感想である)。旨いメニューが並ぶ中、必ずといっていいほど注文されるメニューがある。それがこの「牛すじ煮込み」なのだ。これだけでももうごはんが欲しくなる。立派な“ご飯のお供” なのである。
そして 店でしか食べられなかった このメニューが、このたび通販で簡単に手元に届くようになった。コロナで店に来られない常連客のために、店主が商品化に挑戦したのだ。あとはもちろん売上を維持するためという飲食店にとって根本的かつ当然の理由もある。
だが我々としてはややこしいことは考えず、この幸運を黙って享受すべきだ。それが団らんをさらに良きものにし、ごはんを食す機会が増え、店の売上にも貢献できるとなれば言うことはない。しかも「牛すじそぼろ」は無添加だ。コロナ終息後には食卓を席巻するであろう“健康的ご飯のお供”の条件を、これでもかと纏っている。
肝心の「味」はというと、これがまた素晴らしい。スーパーや百貨店などでよく並んでいる「牛そぼろ」とは一線を画している。他には全くない、新しい味なのだ。牛すじ独自の歯応えと、噛めば噛むほど旨味がにじみ出てくる。甘辛く、少し濃い味付けで、ご飯によく合います。いくらでもご飯が進む、今一押しの“ご飯のお供”です。